☆祭りに神輿(みこし)はつきもので、文字どおり神様の乗り物です。
輿(こし)というのは二本(各地によりさまざま)の長柄(ながえ)(棒)の上に
屋形(やかた)を置き、肩で担いだり、腰のあたりに支えて人を運ぶ乗り物のこと。





【天皇専用の輿は”鳳輦”(ほうれん)】

 この輿は身分により造りが違う。
奈良、平安時代には天皇、皇后、斎宮(さいぐう)(天皇の名代とし
て伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女、または女王)などに輿は限られ、
神輿といった。天皇専用の輿は特に鳳輦と呼び、屋形の上に金色の鳳
凰を飾りつけたもので、大切な儀式の時に用いられた(他にも葱花輦
(そうかれん)といって、屋形の上に金色のネキの花を飾った輿があ
る。ネギの花は長く散らないのでめでたいと考えられていた。昭和天
皇の大喪の儀に用いられている)。
 神輿は、この御輿が神様の乗り物(神霊を奉安する)として転用さ
れたものだ。
 現在残っている古い形の神輿は、手向山(たむけやま)八幡宮(奈
良市)の神輿と言われている。この八幡宮は聖武天皇が東大寺の守護
神として宇佐八幡宮(宇佐神宮・大分県宇佐市)を勧請(かんじょう
)(神仏の来臨を願う。また神仏をある場所に招いて分霊を祭る)し
たことに始まると言われるから、すでに奈良時代に神輿は用いられて
いたらしい。三基のうち1基は主神の鳳輦型で、二基は葱花輦型であ
る。

【神は神輿に乗って旅される】

 ところで神輿の出る祭りは神幸祭と呼ばれる。神輿は本社よりお旅
所に渡御し、そこから本社へ還御(かんぎょ)になる。要するに神様
は神輿に乗って出られ、旅をして、また帰られるのだ。
 お旅所というのは、神輿を仮に奉安する場所のこと。なぜ神輿は渡
御するのか?渡御があるから、ワッショイとかドッコイとかさまざま
なその土地ごとのかけ声で担いで巡ることになる。
 もともと神は山や海(自然界)におられるので、その神霊をある場
所に招き、お迎えして祭るというのが、古代からの信仰のスタイルだ
。神が来臨する場所、神をお迎えする場所は、山であったり、海辺で
あったりする。まだ神社が生まれない以前を考えると、山のふもとと
か、森や海辺とかが、その場所になる。
 お旅所が神社の元の鎮在地という場合も多い。つまりお旅所という
のは、その神社に正式に神を祭る前の祭場を意味していることにもな
る。人々はこの神の旅によって、神の威力、神霊の新たなよみがえり
を願ったのである。




なぜ練るのだろうか?




 神輿をもむ、練るといえば、激しく揺さぶること。
 これは神霊の威力や活力を増進させると共に、担ぎ手にもその威力
が付加されたいという願いからで、神人一体の、いわばデモンストレ
ーションといえる。
 けんか神輿、荒祭りというのも、神威の発揮だろう。
 平安中期から室町時代にかけて、興福寺や延暦寺の僧兵たち(山法
師)が、神木や神輿を担いで、しばしば朝廷に強訴(ごうそ)した。
 さすがの天皇も神輿を担ぎ出されては困惑したであろう。白河法皇
は自分の意のままにならなかった三つのことを挙げている。
 「加茂川の水、双六(すごろく)のさい、そして山法師」で、白河
法皇の三大不如意
という。
 山法師たちにとって神輿は最大の切り札だったのであろう。
 神輿を洗うという儀式もある。渡御に先立って洗い清めるわけで、
各地の神社で行われるが、八坂神社(京都)の神輿洗神事が有名だ。
祇園祭の前後、七月十日と二十八日に鴨川の四条橋の東で行われる。
 住吉大社(大阪)でも満月の夜、住吉の浜で同様の神事が行われた
(現行は七月第三土曜)。夏越祓(なごしのはらい)に先立つ大切な
儀式である。


「神さま仏さま 知ってるつもり 事典」伊澤忠夫氏著より




【神輿(しんよ)】

 民間ではミコシ(神輿)と呼ぶ。神幸の際に神の乗る輿であり、そ
の起源は不明だが、奈良時代頃から用いられたと伝えられる。
 基本的には台と胴と屋根によりなり、台には二本の棒を縦に貫き、
これに横棒を取り付けることもある。多くは木製で、その形は四角・
六角・八角のものもあるが、四角が普通である。屋根の上に鳳凰を取
り付ける鳳輦形の御輿が一般的である。しかし、神奈川県大磯町の国
府祭(こうのまち)(五月五日)の神婚祭事の際の神輿は男根形をし
ている。また、八月六日、同町の七夕飾笹神輿(七日朝、海へ流す)
など特殊な神輿もあるし、子供たちが担ぐ樽神輿もある。

「日本の神様読み解き辞典」川口謙二氏編著より


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